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お役立ちコラム

22トロッコ

小田原熱海あたみ間に、軽便鉄道敷設ふせつの工事が始まったのは、良平りょうへいの八つの年だった。良平は毎日村はずれへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、ただトロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
トロッコの上には土工が二人、土を積んだうしろたたずんでいる。トロッコは山をくだるのだから、人手を借りずに走って来る。あおるように車台が動いたり、土工の袢天はんてんすそがひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきをながめながら、土工になりたいと思う事がある。せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事もある。トロッコは村外れの平地へ来ると、自然と其処そこに止まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押す事さえ出来たらと思うのである。
ある夕方、――それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、そのほか何処どこを見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番はしにあるトロッコを押した。トロッコは三人の力がそろうと、突然ごろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。ごろり、ごろり、――トロッコはそう云う音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。
その内にかれこれ十けん程来ると、線路の勾配こうばいが急になり出した。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうかすれば車と一しょに、押し戻されそうにもなる事がある。良平はもういと思ったから、年下の二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初おもむろに、それから見る見るいきおいよく、一息に線路をくだり出した。その途端につき当りの風景は、たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当る薄暮はくぼの風、足の下におどるトロッコの動揺、――良平はほとん有頂天うちょうてんになった。
しかしトロッコは二三分ののち、もうもとの終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押すじゃあ」
良平は年下の二人と一しょに、又トロッコを押し上げにかかった。が、まだ車輪も動かない内に、突然彼等のうしろには、誰かの足音が聞え出した。のみならずそれは聞え出したと思うと、急にこう云う怒鳴り声に変った。
「この野郎! 誰にことわってトロにさわった?」
其処には古い印袢天しるしばんてんに、季節外れの麦藁帽むぎわらぼうをかぶった、背の高い土工が佇んでいる。――そう云う姿が目にはいった時、良平は年下の二人と一しょに、もう五六間逃げ出していた。――それぎり良平は使の帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗って見ようと思った事はない。唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はっきりした記憶を残している。薄明りの中にほのめいた、小さい黄色の麦藁帽、――しかしその記憶さえも、年毎としごとに色彩は薄れるらしい。
そののち十日余りたってから、良平は又たった一人、ひる過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺めていた。すると土を積んだトロッコのほかに、枕木まくらぎを積んだトロッコが一りょう、これは本線になるはずの、太い線路を登って来た。このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼等を見た時から、何だか親しみやすいような気がした。「この人たちならばしかられない」――彼はそう思いながら、トロッコのそばけて行った。
「おじさん。押してやろうか?」
その中の一人、――しまのシャツを着ている男は、俯向うつむきにトロッコを押したまま、思った通り快い返事をした。
「おお、押してくよう
良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。
われ中中なかなか力があるな」
の一人、――耳に巻煙草まきたばこはさんだ男も、こう良平をめてくれた。
その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくともい」――良平は今にも云われるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起したぎり、黙黙と車を押し続けていた。良平はとうとうこらえ切れずに、ずこんな事を尋ねて見た。
何時いつまでも押していてい?」

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